2025.05.18

コンセプトは跳ねる。でも、組織はすぐには変わらない。

先日、ある経営者との会話の中で、「“コンセプトの力”はある。でも、それだけでは組織は動かない」そんなテーマとなり、自分たちの同じような経験を思い返しました。


そこからあらためて、

・組織における「クリエイティブなコンセプトでの新たな事業づくり」と「足元の実力」のギャップについて

・対話を通じて、組織の中で起きることの因果関係やつながりを理解させる

ことをブログに残しておこうと思います。



 

新しい発想やコンセプトをクリエイティブに創り出し、それを掲げ、発信していくと、共感が得られやすく、特に社外から仲間が集まってきます。特に若手メンバーや外部からの新しい人材は「それを実現したい」「実現のプロセスに関わりたい」と強いパッションを持って組織内に入ってくる。


ここで気を付けなければならないのが、そのコンセプトが組織の中に蓄積されてきた暗黙知やナラティブから生まれているということ。創出した側はその背景を前提にしているが、後から加わったメンバーには共有されていないことが多かったり、コンセプトとはそういう文脈があって生まれるものだという事自体に対して理解ができていないケースもある。


そういった新しいコンセプトが組織としての外部発信に乗ると、従来の既存サービスに対しても新たな期待が寄せられるようになり、新しいコンセプトがきっかけでつながった先が既存の提供サービス(既存事業)を購入してくれることが起きてくる。これ自体は歓迎すべきことではあるが、実際にはそこに「見えない期待値の上乗せ」が発生している。コンセプトの先進性が、そのままこれまでの事業におけるサービスの質やアウトプットの水準に反映されていると思われがちで、提供側にとってはプレッシャーにもなる。



 

具体例が無いと分かりづらいかもしれないので、自社の過去を振り返ったエピソードから具体的にしてみると、

 

2010年代の後半、当社では「女性活躍」「リスキリング」「ワークスタイル変革」といった要素のコンセプトを、いち早く地域企業に対して発信し、これらを実現する事業を模索していた。具体的な取り組みとして浜松市と組んだ「地域女性向けのIT人材育成・就業支援事業」で、仕事から一定期間離れていた女性に今でいうリスキリングを行い、従来の働き方を改革したパフォーマンス重視の仕事の仕方を身に着け、地域ベンチャー企業や中小企業に就業してもらい、その人材を起点にしてその会社のワークスタイルも変えていくきっかけを作るということに取り組んでいた。当時の浜松・地方都市からすると、新しいコンセプトを実現させる取り組みであり、相応に注目もいただいたと記憶している。


当時の当社の主力事業はWEB制作・マーケティング支援事業であり、そちらの既存サービス(既存事業)にも、この文脈の中でオーダーが入り始めた。当社が既述の新しい取り組みをしていることを認識し、そういう新しいコンセプトを打ち出せる会社のクリエイティビティと仕事のレベル感はきっと高いに違いないという期待があったと思われる。「NOKIOOなら何か新しいことをやってくれるだろう」「仕事の精度も高いはずだ」といった暗黙の期待値が含まれている状態である。




 

一方で、新しいコンセプトを打ち出せても、急に会社の実務としての実態の実力値は変わっているわけではないので、既存事業における顧客の期待値に応えることに四苦八苦する現場が見えてくる。実は足元の仕事の精度がまだまだ十分でないことを認識し「足元が崩れたら元も子も無いじゃん」と思い、「新しいこと、クリエイティブなこともやるが、その前にもう一度、地味で基本的なことから見つめようぜ」という話になっていく。

合わせて、新しいコンセプトの実現もなかなか前に進まない、それを実現する会社全体としての実力値がまだまだ追いついていないからだ。外から入って来たメンバーだけが新しいことを行うのではなく、既存メンバーのナレッジやリソースと融合しながら進めようとするが、これまでの事業を中心にやってきたメンバーは、日々超具体の事をやってきているので、抽象的なコンセプトを理解し、事業とつなげてクリエイティブに仕事をしていく事に慣れていない。


こんな状況になってくると、華々しく掲げていた新しいことの実現は、少し先の将来に遠のく。

 

そうした状況に若手メンバーや外から入って来たメンバーは、徐々に誰が悪いだの、組織がイケてないだの、誰かのせいにしはじめたり、「足元固め」ということに対して、その遅々として進まないように見える状況に対して動揺したり、失望したりする。


特に若手メンバーや、事業マネジメント経験はあっても、長期軸での組織・人のマネジメントの経験値の無いメンバーは、そうやって揺り戻しや、事業を作るのはあくまでも“人”の集まりということに理解が浅く、「何で??」となる。

組織とは、さまざまな要素が時間をかけて変化し、積み重なっていくもの。関係性→思考→行動→結果という一連の流れが、因果としてつながっていく。

でも、そうした“時間軸での物の見方”は、やはり経験が浅いと難しいのだろうと思う。


揺り戻しは、止めたわけでも後退してるわけでもなく、漸次的前進であるにも関わらず、そのように見ることができないから、「誰が悪だの」という犯人探しみたいなスタンスになっていく。

 

あるあるの構図で、当時を思い返すと今でも苦しい気持ちになります。



 

実際、コンセプトに期待してプロジェクトが動いても、現場の実力とのギャップに苦しみ、結果的に多くのメンバーが去っていきました。

今思えば、そこで必要だったのは、コンセプトと現実の接続点を探る“対話”だったのかもしれません。


今なら、新しいコンセプトに共感して入ってくるメンバーと、事前にも入社後にも目線を揃える対話ができる気がする。

要は、組織の中で、言葉のやり取りを通じてナラティブを理解し合い、受け入れる――そうした経験を重ねることが大切なのだと思う。



 

先日、「金ガレ」で書籍「他者と働く」を取り上げ、そういうものの見方があり、組織の中では技術的課題と適応課題があって、起きている多くの課題は適応課題であるということを学んだが、そういう物の見方に気づいていってもらうことが大事なのだと思う。



 

経験値の浅いメンバーや、人的要素の薄いビジネスモデルを扱ってきたメンバーは、新しいことを最短距離、最短時間でやりたい・・・・と思っている節がある。


そういう物の見方を少し養ったタイミングで、一つ一つの仕事、実績、会話などをコツコツ積み上げをしてきたり、地味だが根幹を作ってきた既存メンバーや先輩のナラティブを聴く場を作ってあげ、段々に物事の見方(時間軸と因果のつながり)の変化をベースにして現実を見てもらうのが良いだろうと思う。

 

繰り返しだが、新しいコンセプトはその組織の暗黙知から生まれてきているはずなので、そこを形成している既存メンバーや先輩のナラティブを共有できなければ、若手メンバーが取り組みたいと考える新しいことの背景にあるコンセプトを真に理解したことにはならない。





 

だからこそ、自分たちは、組織に新しい風が入ったときほど、丁寧に文脈をひもとき、ナラティブをつなぎ直す努力を惜しまないようにしたい。

「コンセプトを共有する」とは、言葉や資料を渡すことではなく、どんな現実の上にそれが立ち上がったのかを共に辿ること。

その姿勢を、次に誰かが新しい挑戦を始めるときにも、忘れずに持っていたいと思う。