2023.05.05
「対話」に大きな意味付けと、強い可能性を感じたこと。
4月中旬にNOKIOOメンバー3名とビジネスパートナー4名とのビジョンミーティング(御殿場ワーケーション)に行ってきました。僕にとってのワーケーションというのは、本当に素晴らしい時間で、そこを起点にコンセプトの創造や、仲間との強いつながりや、未来への活力をもらえるので、年に3回くらいはこんな感じの取り組みをしています。
NOKIOOは組織の在り方として、NOKIOOに籍があるかどうかは関係なく、NOKIOOの目指すビジョンや大事にしたいミッション感に対してどう考えるかを大切にし、そして一緒にやりたいと思ってもらえる、思える人たちの集まりをチームとして捉えて、事業づくり・事業遂行をしています。今回もそんな大切なパートナーたちと、丸一日時間をともにし、対話-温泉-バーベキュー-語らいタイム-朝方の富士山-振り返りセッション、、、を一緒にすることできっと何かが生まれるだろうという期待を持ち、お声がけ・企画をしました。
僕のワーケーション流儀は、お昼すぎに到着後から夕方にかけての2-3時間で、参加メンバーがそれぞれ自身の紹介、今取り組んでること、気になっていること、テーマキーワードなどを自由に10-15分ぐらいのピッチでぐるっと回し、自由に対話を楽しむことから始めることにしています。ここでは、キーワード・テーマを発散的に投げ込むこと、課題解決議論はしないこと、あんまり話を収束させないことを大事にしています。
その後、夕方からはお風呂、風呂上がりの富士山眼前バーベキュー、そのまま部屋でこれまた自由に語らうこと。翌朝は1時間ほどのラップアップタイム。という過ごし方。
到着後の投げ込みピッチタイムを作っておくと、その後のテーブルを離れた場面や時間差で
「あの時の話だけどさあ、、、」
「ケンさん(←これ僕)のあの話とこの話のつながりが、実はよく分かんなかったんだよね、、、」
みたいなそんなことが出てくるのです。そこからその話の続きをすることがすごく大事。
そういう話がボソッと出てくるには、相応の寝かしタイムやゆっくり流れる時間が必要で、ワーケーションに流れる時間はまさにそのもの。アジェンダと開催時間が決められている会議でこれと同じことを実現させるのは不可能だと思います。
今回のビジョンミーティングから生まれた「ひっかかり(問い)」が、本日5月5日のGW期間中の自分の思索の中でようやく帰着をしてきていて、それがすごく自分の中では今後の自分の活動の中で「対話」というものを捉えるのにおいて、大事な気づきのように思えるので、ブログに残しておこうと思いました。
ちなみに今取り組んでいる「未来型ワーク企業次世代人材育成プログラム」に至るきっかけの会話も、昨年11月に御殿場で行った浜松の経営者仲間のワーケーションの二日目朝の会話が糸口だったのです。
さて今回のワーケーションの中で、その後の問いとして自分の中に残った(結果的に残っていた)問いは、NOKIOOで一緒に経営や事業開発・遂行に取り組む小田木さんが、なぜか盛んに
「最近私は人間回帰なんですよね…」
「ようやく人間らしくなってきた‥」
※確かこんな感じの表現だったと思うのですが
というようなことをピッチの時にも、夜の食事の時にも、何度かこういうことを語っていて、これって言葉尻はわかるけど、背景にどんなことがあるんだろうか?ということが引っかかっていました。
人間らしく、人間回帰、人間化・・・・
その後、別の知人と食事やお酒を飲んでいるところでも「人間らしく生きたい(働きたい)」というワードがあったりしながら、
そんなことで、僕の中にひっそりと立っていた問いは
「皆が「人間回帰」というのは、大きな世界観・時代観の話としてどんな文脈、どんなことが起きているのだろうか?そこと「対話」という最近の人材育成・組織開発文脈で言われる言葉との関連性があるような気がするが、それは一体どういうつながりなのだろうか。」
ということでした。
これに関しての自分なりの方向性が連休中に見つかってきました。
この気づきの多くはこちらの書籍「冒険の書 AI時代のアンラーニング」から多くのヒントをもらいました。
ブラジルの教育者・哲学者のパウロ・フレイレが説く話。あるべき教育というのは知識を詰めるのではなくて、対話をしながら、自らの言葉の意味を深め、現状を深く自分の頭で理解し、その中から自分たちが住む世界をどう変えたほうがいいのかを本人が気づいていくことが大事である、と。
そうすることで内発的な課題意識が生まれ、その自己の強い課題意識を持ちながら学ぶこと、実践することにつながり、それは要するに学び・実践が自らのものになり、自分を強く感じられる状況となる。その状態イコール、人間っぽいし、「人間化(humanization)」していることなのだろうと。
※ちなみにこの感覚は僕が創業して、経営をする中で感じ始めた「生きてる感じ~。この感覚サイコーだぜ。こういう感覚は初めてもつぜ!」に近い気がしています。
対話的教育の反対側にあるのは、知識を教える、教えてやろう、分かってないから指導してあげようという態度。これは具体的には現代の学校のスタイルだったり、上司が部下に指導をするスタイルであったり、実際にそこにいる人の心の在り方がそういう態度だったりすることで、受け側に「批判的意識(critical consciousness)」が失われ、自ら考えることを奪い、無力化してしまうことになる。即ちそれが「人間回帰」の反対側にある非人間化であり人間の機械化なのだろうと理解できた。
だから対話を重んじていくことが、その人を人間化したり、それを感じることができるようになり、小田木さん的に言うと「人間回帰」しているって感じることになっていくのではないかと思った。小田木さんはここ3-4年間でマネジメントスタイルを変えていて、チーム内の対話を重んじ、Voicyを通じても様々な人と対話をすることで、こうしたメカニズムが動いていて「最近私は人間回帰なんですよね…」「ようやく人間らしくなってきた‥」って言ってたのかな?という解釈をしてみたのです。
人間社会は極端に機械化、自働化、コンピューター化が進み、その中で仕事をする・生活をする多くの人たちがその社会システムの中でいつの間にか非人間化してきていて、本来の人間的営みに戻りたいっていう根源的欲求がマグマのように見えないところでうごめいているのかもしれない。
その状態だから脱出策の手法として1on1、対話が言われ、そんな状態がいいよねということでwell-beingという言葉が作られたきたけど、バックグラウンドとしては、効率的に、生産性を高めて、そのために機械を扱える人間を育てて、、、という従来の教育の在り方が世の中のこれまでの時代には都合のよかった非人間的人材を育成し、非人間的社会・経済が作られ、加速してきた状況を、ゆり戻そうとする文脈なんだろうなと理解をしている。
社会も組織も高度な複雑系になってきている中で人間社会のみならず、地球規模でサステナブルであれるかどうかという状況であり、そこにつながる課題がいよいよ山積みになってきていることは疑いもない状況である。一つの大いなる打ち手でこれらの課題を打開することは難しそうである。
社会の構成員である一人一人が、組織の構成員である一人一人のメンバーが、対話を通して自らが自己の課題意識に気づき、自分事化して、自分事化できるから「生きてる感じ(人間回帰)」ができて、そしてそれが自分の所属するチーム、組織、地域、社会をよりよくすることにつながるということであれば、人を作る活動(教育)において、対話をすることはまさに今の時代に求められていることに他ならないということに自分の中でつながってきたのです。
対話の可能性を単に社内の面談の在り方の改善ではなく、心理的安全性の高い職場づくりではなく、もっと長期で崇高な視点として、人と組織の掛け算で共創があふれるチームであり、社会を創ることに繋がっているのだと考えると、あるべき「対話」を促していく場づくり、機会づくりは、今まさに持続可能な組織や社会、地球の在り方が問われている時代に本当に必要なことなのだと再認識するのでした。
という意味づけをしたうえで、「対話」も含め人と組織の営みをアップデートしていきたいと思う5月5日。GW真っ盛りの気づきでした。
※対話をテーマにした組織開発の取り組み事例を最後にご紹介しておきます。