2026.06.14

ガバナンスについて考えていたら、全員マネジメントに戻ってきた

先日、TMAコンサルティングの浅沼宏和さんが主催された「ガバナンス」に関する勉強会に参加し、いろいろと学びになったり、発展的にガバナンスの事を考えるきっかけになったのでメモ的に残しておきたい。

 

当社は取引企業が上場企業中心に変化をしてきており、また会社の規模が少しずつ大きくなり、メンバーも増えてくる中で、今後のマネジメントの中で「どう統制するか」「どう事故を防ぐか」というテーマも考えていかねばならない、と思っており、今期の管理チームのテーマの中に「ガバナンス」というワードも入ってきている。そんな事から浅沼さんの「ガバナンス」勉強会の発信に対して僕のアンテナがキャッチすることになり参加することになったが、参加してみて本当に良かったと思う。

 

僕の中でガバナンスという言葉は、どちらかというとルールや規則、監査や承認フローといった、いわゆるハードな仕組みのイメージが強かった。

 

ところが今回の勉強会を通じて、その見方が少し変わったと思う。

改めて考えてみれば、どれだけ立派なルールを作ったとしても、実際に行動するのは社員一人ひとりである。組織で起きることのほとんどは、人の行動の集積である。そう考えると、ガバナンスの本質は制度そのものではなく、社員一人ひとりがどう自らを律するかという話なのであろう。勉強会の冒頭のショートインプットを聞き、問いかけに対しても、ガバナンスに対するハードとソフトという視点でコメントをさせてもらった。

※ハードがルールや明文化・規程的なもの。ソフトは社員スキルやカルチャーのようなもの。

 

勉強会のあと、浅沼さんが共有してくれた資料を読んでいて、そんなことを考えた。

勉強会・資料の中では「主体性+公の目=自己統治」という整理が出てくる。

この整理の仕方は今回の勉強会のメインメッセージでもあったので頭に残った。

主体性という言葉は、NOKIOOでもずっと大切にしてきた。自ら考え、自ら判断し、自ら責任を引き受けること。組織づくりの文脈でも、人材育成の文脈でも、僕らは主体性の重要性を語ってきた。

しかし資料では、その主体性だけでは十分ではないと言う。

最初は少し意外に感じたが、考えてみれば思い当たることはたくさんある。

会社のためを思ってやったことが、結果的に独善になってしまうこともある。顧客のためという善意が、ルールを飛び越えることもある。仲間を守ろうとした判断が、組織全体から見れば適切でないこともある。

つまり、人は悪意によってだけ間違えるわけではない。むしろ善意だからこそ見えなくなるものもある。

そこで必要になるのが「公の目」だという。

ここでいう公の目とは監視ではない。

「その判断を後から説明できるか」

という視点である。

顧客に説明できるか。社員に説明できるか。未来の自分に説明できるか。社会に説明できるか。この問いを自分の中に持ち続けることによって、主体性の暴走を防ぎ、自己統治が成立する。

 

このあたりまで考えていた時に、頭の中で別のことが繋がってきた。「あれ、これって全員マネジメントの話ではないか?」ということである。

僕らはここ数年、「全員マネジメント」という考え方を整理してきた。共通の価値観を育み、成果を握り、役割をデザインし、問いを立て、対話し、連携し、事実をベースに学習する。

 

 

 

これまでは、チーム成果を最大化するための行動体系として説明してきたが、今回ガバナンスというレンズを通して見てみると、違う景色が見えてくる。

例えば、共通の価値観は判断基準になる。対話は独善を防ぐ。連携は相互牽制を生む。そして事実ベースの学習は、自分たちの判断を検証する機会になる。

そう考えると、全員マネジメントとは成果創出の仕組みであると同時に、自己統治を高める仕組みでもあるのではないかと思えてきた。

 

今回、自分の中で最も大きな発見だったのはここかもしれない。7つの行動体系を眺めていた時に、特に気になったのが「事実をベースに学習し、チームを成長させる」である。大元に参考にしたのはMMOT(Managerial Moment of Truth)との関係である。ちなみにMMOTとは、チームが推測や感覚ではなく、事実を持ち寄って学習するための考え方です。 

※MMOTについて過去に書いたブログはこちら

 

これまで僕はMMOTを、チームが事実をベースに学習するための考え方として捉えていた。しかし今回改めて考えてみると、MMOTはガバナンスの機能も果たしているように思う。

人はどうしても推測や思い込みで判断する。感情に引っ張られることもある。しかし事実を持ち寄り、事実に基づいて対話することで、「なぜその判断をしたのか」「本当に妥当だったのか」を確認できる。

それはまさに、自分たちの行動を説明可能な状態に近づける営みであり、公の目を組織の中に実装する行為とも言える。

そう考えると、MMOTは単なる学習メソッドではなく、主体性と公の目をつなぐ具体的な実践装置なのかもしれない。つまり、公の目は、監査役だけが持つものではなく、チームの中で事実を確認し合う営みによっても生まれるということです。

もっと言えば、全員マネジメントそのものが、自己統治力を高めるための組織運営モデルとして読み直せるのではないかとさえ感じている。

 

一方でリアルな会社経営視点で考えると、まだまだガバナンスに対するアプローチとしては不足感と抜け落ちを感じる。

どれだけ主体性を育み、公の目を内面化し、MVVやNOKIOO Wayを浸透させたとしても、人間である以上、判断ミスや不正をゼロにはできないから、権限設計や職務分掌、監査や承認プロセスといった、いわゆるリスクを前提とした仕組みも必要になる。

どこまでを自己統治に委ね、どこからを仕組みで担保するのか。

性悪説から組織を設計するのではなく、まず主体性と公の目による自己統治を育てる。その上で残るリスクを仕組みで補完する。そんな順番なのではないかと思えてきた。ガバナンスについて考えていたら、結局また全員マネジメントの話に戻ってきた。

まだまだ小さな組織のNOKIOOが今後大きくなっていった時に、自己統治と統制をどう両立させるのか。全員マネジメントはその問いに対する答えになりそうか。そんなことを勉強会をきっかけに考えることになりました。

こんな思考を辿るとは勉強会前には全く思っておらず、こんな機会をいただいた浅沼さんに感謝です。