2022.02.13

“モヤモヤ”や“問い”との共生する力

約1年前からNOKIOOではブランディングプロジェクトを始め、個別テーマのプロジェクトと合わせて、定例としてこのテーマについて議論し、オペレーションに落とし込んでいく経営-ブランディングミーティングも設置してきました。
このブランディングプロジェクトを進めるにあたっては株式会社パラドックス様にブランディングアドバイザリーの立場で入っていただき、経営戦略視点でブランディングへの取り組みについて議論やプロジェクトに参画をしてもらっています。
 
 
パラドックス様とはNOKIOOのクライアントワーク事業において、地域中小企業のWEB・デジタルマーケティング支援やコミュニケーション支援において、よりそのクライアントの発信の核となる「在り方-目的-パーパス」的なものを創っていく上流から関わっていき、ブランディング視点での支援ができる体制を構築すべく、両社で業務提携を行いました。
 
プレスリリース:株式会社パラドックスとのブランディング支援に関わる業務提携のお知らせ
https://www.nokioo.jp/news/more/327
 
業務提携にあたってのイベントを3月7日に開催します。
「世の中の変化を、機会と価値に変える。 地方中小企業に必要な「志ブランディング」とは?」
https://marketing.nokioo.jp/seminar/detail/8
 
 
 
さて今回のブログのテーマは「モヤモヤや問いとの共生する力」としましたが、これが冒頭のブランディングとどうつながってくるのか。
 
 
1年前にブランディングプロジェクトを開始した際に感じたのが、各ミーティング・ディスカッションセッションの後に残る何とも言えない感覚や、言語化できないモヤモヤを毎度感じたこと。これは僕だけでなくセッションに参加したメンバーの大半が感じた感覚だと思います。
モヤモヤした感覚は気持ちが悪いから、早くそれを手放したい、答えを見つけたい、という感覚になりがちですが、この感覚を大事にしたり、常にモヤモヤする状態であることに慣れていく「モヤモヤとの共生力」が大事だとより一層思うようになるきっかけでした。。
 
 
僕は育休スクラでロジカルシンキングのクラスの講師を受け持たせてもらっています。ロジカルシンキングの考え方の一つに「イシュー」があります。イシューとは問いであり、今考えるべきこと、と定義されています。クラスの中では自分自身のイシューをとにかく言語化し、複数書き出してもらうことをワークとして行います。そしてそのイシューに対して論理的にメッセージ(答え)を導きだしていく思考手法を学んでいくわけですが、僕が受講生の皆さんにこの場面でお伝えするのが、
イシューの中には今考えるべきものと、将来考えるべきものがある、後者はその問いを自分のイシューノートに書き留めておいて、ふとした時にイシューノートをチェックしてみてください、半年後、1年後になって、今まさに解くべきイシューとしてイシューの方から呼びかけてくれるタイミングがありますから。
 
 
つまり何を言いたいかというと、生きていると、仕事をしていると簡単明瞭に答えを出せる問いの方が少ないわけで、すぐには解けない問題に対して今すぐ解こうとする方に無理があるし、無理に説いた答えは大抵浅い、今ある手元の情報や思考で解いた浅いものになってしまう。そうではなくて、機が熟すまで自分の中にストックしておいて、その間は共生が必要だということを伝えています。
 
 
僕らが生きている時代は、ここ十数年でいっぺんに情報や人とのつながり、アクセスのしやすさが変わってきてしまったがゆえに、浮かんだ問いやモヤモヤに対してすぐに解を探すことが癖になっているのではないかと思う。疑問が浮かんだら、知りたいことが出てきたら(それを抱え続けるのが嫌なので、モヤモヤを解消したいので)、即座に検索する、誰かに聞く、SNSに投げてみる、そうして見つけたことがその問いに対する答えだと思って、理解した気になる。
もちろん答えのある知識系やスキルに関することはそれでもいいのかもしれないが、リーダーシップ、対人関係論、組織マネジメント、物事の真理のような話、それだけではなく事業をしていてもVUCA時代には多種多様な変数があり、環境も複雑で絶対解などないのが当然なのだから事業活動における手段についても同じかもしれない。にもかかわらず、僕らはそうしたインターネット時代に生きる行動・思考習性と20世紀的正解主義的思考から脱せられずについつい答えを求めてしまっていないだろうかと思うことがよくある。
 
 
そして、私たちNOKIOOでも組織の働き方やメンバー間の在り方として推奨している、ヘルプシーキング、ネットワーキング、1on1、組織内の心理的安全性づくりなどの要素が、他者へのアクセスを簡単にしているがゆえに、ついつい自分の中に問いを立て、共生し、期が熟すまで焦らない、何かが下りてくるのを待つ‥‥ということをせずに、安易に答え探しをしてしまっている気もする。
 
 
問いが生まれたら、モヤモヤが生じたら、少し立ち止まって考えてみよう。
それはすぐに答えの出るものなのか、答えを出さないといけないものなのだろうか。自分なりの熟した解を出すものなのであれば、熟成させてその問いの周辺にあることをもっともっと経験し、その経験と紐づけて自分の頭で考え、その蓄積ができたところで、考え始める・・・他者と議論し始める・・ことが必要ではないのか。
 
 
と、以前からずっと思っていたし、社内ではそういう考え方を発信はしていたと思うが、あらためて「モヤモヤを共生する胆力を鍛えよう」ということを伝えたい。
 
 
育休スクラ・アドバイザーとしてご協力いただいている荒木博行さんの新刊「自分の頭で考える読書」を今週末読みながら、このテーマともつながったのでブログに残しておきます。
 
 
 
 
本の中では
「懐疑を抱え続ける「ネガティブ・ケイパビリティ」」
「私たちは「問い」を抱え、育てることに対して努力しなくてはなりません。」
といったような記載があります。ほんとの向き合い方についての提案ですが、本に限らず、仕事をする中でもとても大事なことだと思うのです。
 
 
1年半前にも同じようなことを書いていました。
 
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