2023.04.30

君が気づけば、世界は変わる。~アンラーニングへの集団挑戦~

先日4月26日に「未来型ワーク企業次世代人材育成プログラム」のDay1が無事にスタートを迎えることができました。
こちらのプログラムの背景や思いについては、以前のブログに書きましたので、そちらをぜひお読みください。
 
 
 
Day1は「学習キックオフ&人材交流」ということで、これから約6か月間に渡ってDay10まで学んでいくうえでの全体マップと、「学びって何?」っていう根本的なことと、あとは13社30名の一緒に学ぶ参加者がお互いを知る、仲間になる時間を作りました。
 
 
僕も1時間ほどの時間を受け持ち「現在地を掴むDX時代の“時代認識”」というテーマで、少しの講義と参加者とのグループセッションをさせてもらいましたが、受講者の皆さんの受講レポートを見ていると自分が思った以上に「アンラーニング」についての反響や、気づきを多く提供できたようでしたので、今回のブログではこれについて少し書いてみようと思います。
 
 
講義の中で、お伝えしたことの概要はおおよそ下記のとおりです。
 
●「学び直し」「リスキリング」「人への投資」が積極的に言われ、新たなスキルを習得することが強く言われているけど、この背景は何で、大きな文脈の中で言われている新たなスキルって、何となくデジタルスキルなどのテクノロジー系スキルのような気がするけどどうなの?本当にそうなの?
 
●戦う競技(例えば野球からサッカーのように)が変わったり、社会基盤(モータリゼーション以前・以後)が変わったり、会社・チーム組織の在り方が変わる中で、求められる思考法と行動って変わるよね。
 
●DX時代とはデジタルテクノロジーに合わせて、様々なルール(経営のルール、稼ぎ方のルール、取引のルール、契約のルールetc)を変えることが求められていると思うけど、
 
●同じくDX時代には、デジタルテクノロジーに合わせて、人の思考・行動の仕方も変えることが求められるのではないかな?
これから皆は新しい思考・行動を得るための学習をしていくのだけど、それには、これまで学習してきたことや思い込みを手放す必要が、あるいは前提を疑ってみる必要が、在るかもしれない。
⇒これって「アンラーニング」
 
 
受講者の皆さんに、知らず知らずのうちに自身の中に作られている思い込み、前提、当たり前を言葉にしてもらい、それを自覚することをしてもらい、それらがひょっとしたらこれから学ぶ、新しい組織・チーム(未来型ワーク企業)での中心人物として立ち振る舞う上で必要な思考・行動を得るために邪魔になる可能性もあるね、ということを自覚する時間を作りました。
 
 
こんなパートを僕が受け持ち、次のパートで小田木さんから「学習効果を上げる“学び方”を学ぶ」ということで、経験からいかに学びを得ていくか、「学パ」ならぬ学習のパフォーマンスに関する考え方を皆で考える時間を作っていきました。
 
 
Day1はそんな講義&ディスカッションタイムを経て、残りはみんなで懇親会。
ワイワイ・ガヤガヤと雑談からのつながりを作れたと思います。
 
 
 
 
さて、ここまでの話と関連するかどうか。ひょっとすると少し遠いかもしれませんが、つながりはありそうなので、少し最近のプライベートで感じたことを書いてみます。
 
思い返すと僕は少年時代から20代中盤までは、野球が好きで、少年野球で実際のプレーもしていましたが、少年野球以降はプロ野球のスター選手に魅了され、野球観戦にドキドキして夢中になっていました。今年のWBCでの日本代表の活躍を見て、その時の記憶を呼び起こされて、息子たちも普段はあまり見ることの無い野球にそれなりの関心を持つようになったようなので、春休みの旅行も兼ねて、東京旅行&野球観戦で、久しぶりに東京ドームにプロ野球を楽しみに行ったつもりが、いろいろ考えこんでしまったのです。
 
 
 
そもそも試合のスコアは3-1。大した見せ場もなく両チーム合わせて7,8本のヒットの貧打戦で面白くなかったことも背景にあるのは重々承知のうえで。
(おそらくそれが根本のような気もする)
 
 
そもそも東京ドームで野球を見よう!という動機は、WBCであらためて野球というスポーツの緊張感を味わい、ヒリヒリする緊張感を味わいたいと思って観戦を決めたのです。
そんな期待感の一方で、球場の観客席の空気感は、スポーツを一瞬たりとも見逃せないヒリヒリ感を皆で固唾を飲んで見守るというよりは、居酒屋で酒と食べ物を貪る観客席的雰囲気と、それを助長するプロモーションや球場の作りで純粋なスポーツ観戦の周辺に在ることを商売の種とする球場?の在り方を感じ取ってしまう時間でした。
そんな感覚に何とも言えない残念感と、昭和から変わらない思考停止の社会を見るようで、そんな事を考えながらの退屈なゲーム展開にモヤモヤした気持ちの残る野球観戦であったのです。
 
 
僕たちの座った席の周りのおっさん、おばさん、若い子も、次から次へとジャンクフード&アルコール。席を外しては売店往復でカツカレーにポテトに、とんがりコーン、次は枝豆、チョコパフェ。それを与えられる幼児たち。
食べ物、アルコールにそんなに目線と時間を奪われてて、スポーツの緊張感味わえるのだろうか?という疑問。でも、それをプロモーションするビールの売り子や数々の売店。
 
 
僕の席の観戦中はフードゾーンの売店から漂ってくる油と、ニンニクのにおいを感じ、あれあれ?Jリーグでジュビロ磐田のホームゲームはこんな感じだったけ?Bリーグや他にもスポーツ観戦に行くことはあるけど、こんな感覚を抱いたっけ?という問いが頭にふつふつと湧くのでした。
 
 
プロ野球というモデル、大型ドーム球場というモデルが、マスメディア・大量消費・全体思考モデル時代のもので、その時の前提(呪い)から脱することができていないんだなあと。
球場に来ている人のうち、WBCで感化されて純粋に野球のヒリヒリを見たいと思っていた人はどれだけいたのだろうか?一方でマスのモデルに飲み込まれて大量消費モデルに組み込まれて飲み食いすることを求めていた人がどれだけいたのだろうか?
見た感じはきっと後者の方が多かったように見えてしまったけど、本当に立ち止まって全ての人に「今日は何を楽しみにここへ来ましたか?どんな体験をし、どんな気持ちで帰れるとよいですか?」という問いを投げ、落ち着いて本質的に考えると、後者のうちの多くは実は野球を楽しみたいと思ってきたのかもしれないのに。とも思う。
 
 
そうであればその人たちの熱視線がグランドに注がれ、選手やグランドの空気ももっとWBCの時のようなハラハラ、ドキドキとなり、純粋に競技としての野球が球場全体をグリップすることになるのかもしれない。
 
 
試合内容が退屈であったがゆえに、その退屈さの一部の理由をそんなところにもっていく自分にも呆れながら。
そんな東京旅行&野球観戦を振り返るのでした。
 
 
 
最近、こういうこれまでの世の中が決めてきた当たり前、前提、考え方が、いつの間にか自分たちの固定観念になっていてそれが「呪い」や、新しいスタイルや考え方を学習していくことの足かせになっていることを強く感じるし、
 
 
何を隠そう、自分自身もその「呪い」が解けずに諸々苦しんでいる。それだけ、知らず知らずのうちに学習してしまったことって多いのだろうし、無自覚にその学習したことが前提で自分の人生を作っているのだけど、頭では分かっている進みたい方向に、上手く進めない抵抗力がそこにあるのだろうと思う。
 
 
よく「僕も昭和生まれで、昭和の学校教育を経て、社会の言う良い高校、大学を経て、大企業に就職し、、、を経てきているのでこの数十年間で溜まり込んだものがこの下っ腹あたりに沈殿して、、新しいスタイルへの移行を口では言ってるけど、根っこの思考が邪魔をするのです」という話はしていて、これは何の脚色も無くて、実際そんなことを感じながら、日々自分自身も新たなスタイルへの移行の挑戦と、それを阻む呪いとの闘いの気がしている。
 
 
でも、こうしてとらわれていた前提や呪いに気づくことがスタートであり、自覚さえできれば、その呪いから解き放つための「問い」を自分の中に立て、その問いと向き合う中で、次の思考や行動が身体の中に入ってくるのだと思う。
 
 
こんなことを考えている中で出会った本の「冒険の書」にもアンラーニングのことが書かれて、上手く言語化されていたのでここで引用をしておきたい。
 
 
 
 
 
 
・・・・・・僕も長年、親の期待に応えたい、親を喜ばせたいと思ってがんばっていたからです。
 その呪いから抜け出すことができたのは「アンラーニング」について学んだからでした。
アンラーニングとは、自分が身につけてきた価値観や常識などを一旦捨て去り、あらためて根本から問い直し、そのうえで新たな学びに取り組み、すべてを組み替えるという「学びほぐし」の態度をいいます。
この考え方を知ってから、僕は常にアンラーニングを意識するようになりました。そうするうちに自然と、すぐには答えの出ない疑問に問い続ける姿勢ができるようになってきました。
実は、これまでの話もすべてそのアンラーニングのたまものです。自分の中にある常識をいったん捨て去り、あらためて根本から問い直そうとすると、「どうしてそうなのか?」と現状を客観的に見つめるようになりますし、「なぜそうなったのか?」とルーツをたどる探求の旅に出ることもできるようになります。
まずは、素朴な疑問に目を向ける。そこから新たな問いが生まれる。その問いを深く考えるために手を動かし、その過程で気づいた思い込みや常識を疑う。そして、新たに生まれた問いについて考える。
この一連の行為を繰り返し続けることが、自分の人生を自分で考えることにつながるのです。
・・・・・
 
 
 
ということで、いろいろあるけど、僕はこのアンラーニングは一人でやるのは至難の業で、仲間と一緒に集団挑戦するのがいいと思っている。というのは、固定観念から脱するには良い問いを持つことが大事だが、自分で自分に問いを立てるのは難易度が高く、思考や前提の違う仲間から問いをもらったり、投げかけてもらうことでそれが進むからである。
 
今回集まった1期生のメンバーが、そんなことを相互に働きかけられる一生の仲間になっていくといいな、と思いながら、Day2以降そんな彼ら・彼女らの思考のアップデートに伴走できるのが楽しみです。